ある日、ロンドンの通りを歩いていたひとりの少年が、古びた小さな靴屋を見つけました。
これまで何度も歩いたことのある通りなのに、
そこに靴屋があることに気づいたのは、その日が初めてでした。
どこの町にもあるごくふつうの靴屋でしたが、ほかの店とちょっと違うのは、
ショーウインドウにたった一足しか靴が並んでいなかったことです。
しかも、その靴は気品に満ちた美しさを放っていました。
少年は、どうして他の店のように何足も靴を並べていないのか不思議に思いました。
しばらく、ウインドウをのぞいていると、少年の姿が目に止まったのか、
中から職人風の年老いた主人が出てきて、少年に話しかけました。
「坊や、なにか探しものかい」
驚いた少年は、とっさに言葉がなく、うつむいてしまいました。
でも、勇気をふりしぼって主人に尋ねることにしました。
「どうして、ショーウインドウに一足しか靴を並べていないの?
よその店はもっとたくさん靴を並べているよ」
すると主人は、ちょっと考えてから少年に答えました。
「そうだね。もっといっぱい靴を並べると、大勢の人が来てくれるかもしれない。
でも、わたしは、今、だれかにいちばんはいてほしい靴を一足だけウインドウに飾ることにしているんだ。
そうすれば、わたしが、その靴を作った気持ちに気づいて、ドアを開けて入ってきてくれるお客さんが
いると信じているんだ。だって、そう思って靴を作るほうが楽しいじゃないか。」
少年には、主人の話すことがよく理解できませんでした。
それでも、なんとなくうなづいて、店をあとにしました。
「また、いつでもあそびにおいで」
うしろで、主人の声が聞こえました。
次の日も、その次の日も、少年は靴屋のことが気になって、ずっと考えつづけていました。
そして、ある日曜の朝、父親に小さな靴屋の話をしました。
うなずきながら話を聴いていた父親が、少年にゆっくりと言いました。
「おまえには、まだ分からないかもしれないけれど、大人は毎朝出かける時に、
今日一日の仕事のことや、その日に出会う人のことを考えて靴を選んだり、紐を結んだりするんだ。
ただ歩くための道具じゃなくて、靴にはやる気を起こさせてくれる不思議な力があるんだよ」
少年は、ふと考えました。
自分は毎朝、どんな気持ちで靴をはいているのか。
昨日も、今日も、たぶん明日も、学校に遅刻しないように大急ぎで靴をはいて飛び出していくだけでした。
父親は、最後にひとこと、こう言いました。
「きっと、その靴屋の主人は、靴の不思議な力のことをよく知っているんだよ」
少年は、明日、もう一度、あの靴屋に行ってみようと思いました。
そして、靴の不思議な力のことを聞き出してみるつもりでした。